親戚がなくなったのでお通夜と葬式で忙しかったです。
弟は東京で働いているのでこっちまで帰ってこられませんし、一応、不本意ながら長男でもありますので、私も仕事を休んでお通夜、お葬式に参加しました。
早朝の2時過ぎに危篤という電話が掛かってきて、それにあわせて遊びの約束などもキャンセルしたりで備えていました。
その日のうちにお通夜、本日葬儀という流れでした。
いくら中身が子供のままでも、嫌でも大人の会話に巻き込まれるわけでして。
人間あまり多くのお金を残して死んでも良くないなと思いました。
出棺のときの重さと、骨上げのときの軽さ。
人間、死んだらお終いということが、理屈ではわかってはいましたが、再認識できました。
死んだら灰ですね。
今後の人生にいかに生かしていけばいいでしょうかね。
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ぽむ。
死んだら灰ですねぇ。
ぉぃらのおじいちゃんはぁ、
母方も、父方も、死にましたょ。
父方のほうは、自分が生まれたばっかで
覚えてないですが。
葬式ってなんか
心が変わり?ます。
なんか、変な気持ちになるんですよねえええ。
まぁ、がんばろう。
お疲れ様でした。
友達の親が最近亡くなり
自分の親がいなくなったらと考えるようになりました。
もう、親も若くないと実感したしだいです。
亡くなると、星になると信じていたいです。
いつも見守ってくれると!
>>れんか
人生有限ですので、いかに充実して過ごすか。
これが重要じゃないかと思います。
やるときはやる。 遊ぶときは遊ぶ。
そんな風に全てにおいて有効な濃い時間の使い方ができるのが理想かな。
死ぬ間際になって、無駄に使った時間を考えるのは嫌ですしね。
だらだら過ごさず、精一杯過ごしましょう。
>>ベル
親孝行したいときに親はなし といいますからね。
明日親孝行する! っていうのは無理であっても、親孝行しないといけないなぁ と頭の片隅にいれておくだけでも、何もないよりだいぶいいですよね。