私の青春時代ともいえる中学2年生の時に、RealTimeで遊んだゲームドラクエ4。
実は結構思い入れの強い作品でもあります。
ゲームの出来としては3や5には劣ります。
でも、このゲームには思い出があるのです。
私の小学校から中学2年生まで友達だった子がいました。
その子は体が弱い子でした。
いつも学校が終わったら家でドラクエ4を一緒にやって遊んでいたのです。
中学2年の春ごろ、学校の転地学習という行事で信州にいきました。
10キロ以上もの道のりを歩くというイベントがあったんです。
で、学校の先生達は体の弱い彼に(重度の喘息をもっていました)、ムリせずに休んでもいいといいましたが、学級委員長をしている彼は、それを断り、気管支拡張剤を沢山吸入しつつ、最後まで歩ききりました。
それは、同じ班だった私がよく見ていました。
歩くイベントが終わったあと、うちのクラスは出し物で歌を歌いました。
当時流行っていた「たま」というバンドの歌で、さよなら人類という歌でした。
そして、疲れたクラスの皆は枕投げもせず就寝しました。
夜中に彼は咳き込んでるみたいでしたが、疲れていたせいもあり、あまり記憶には残っていませんでした。
私も寝ぼけていたのでしょう。
朝起きてその日の準備をしていたのですが、学級委員長である彼がいつまで経っても起きてきませんでした。
「おい、そろそろ起きろよ」
と、体をゆすったら、彼の体は驚くほど冷たかったです。
ぞっとする冷たさでした。
大げさではなく、本当に驚きのあまり、1メートルくらい後ろに後退しました。
私は頭の中で何がなんだかわかりませんでした。
どういう行動をしたのか、わかりませんが、多分、やばいことになっていると他のクラスメイトに話した気がします。
とりあえず、先生を呼びに行きました。
すぐに先生が駆けつけ、先生は「救急車!!」と叫んだような記憶があります。
昔のことだから覚えていないのではなく、当時から記憶はあいまいでした。
ただ、救急車を呼んでもな。 と、変に冷静な自分だったような気がします。
でも、これは夢だ。 と、思い込んでいた自分もそこにありました。
その後の行事は当然、行われないことになり、病院に運ばれているあいだなのか学校に連絡していたのか、知る由もありませんが、待っているあいだに多目的ホールのような場所で映画を見ました。
その時みた映画は天空の城ラピュタでした。
天空の城ラピュタを見ていたのではなく、眺めていただけでした。
内容は全然覚えていませんが、途中で止められて、先生が話し始めたことを覚えています。
先生の話の内容は、その友達は死んだ。
ただそれだけでした。
仲良くもなかったくせに、下手すれば喋ったこともないくせに、泣き始める生徒がいました。
また、それに釣られて泣き始める生徒も沢山いました。
でも私はまだ、頭の整理が全く追いつかなかったみたいで、泣くことはおろか悲しいとさえ思いませんでした。
とても長い夢だなぁ。 と思っていました。
すぐに帰りのバスが出発しました。
信州から兵庫県の道のりが1時間くらいで到着したように思えるほどの、時間の経ち方でした。
バスに乗ったら家についていたといっても大げさじゃないくらいでした。
帰りのバスではお菓子も食べませんでしたし、途中でトイレにさえ行きませんでした。
ただ、ひたすらじっとしていました。
動けませんでした。
この全く現実味のない事態を必死に頭で整理していました。
帰りのバスでもすすり泣く生徒の声が聞こえました。
でも、私はそれを現実とは受け入れられていないようで、嫌な気分ではありましたが、悲しくはありませんでした。
バスが到着し、家に帰りました。
家のドアを開けたら、すでに連絡を受けていたのでしょう。
うちの母親が、「**君が亡くなったらしいね」といいながら泣いていました。
学校行事に参加していないはずうちの母親が泣いていました。
現実味のない世界に、最も現実に近い存在。要するに家族に告げられたのです。
何を寝言をいってるの? と、私を夢から覚ましてくれると期待していた母親が泣いているのです。
その時私は
「ああ。本当に死んだんだ」
と、気付きました。
そして堰を切ったかのように泣きました。
本当に悲しいときは、テレビドラマのように泣き叫んだりしないものだということをその時知りました。
彼が死んでもう15年になりますか。
命日には家まで線香をあげにいっていましたが、彼の一家は何年か後に引越ししてしまい、それもなくなりました。
思い出すことも年々減っていきました。
今は年に数回思い出すくらいでしょう。
でも、ドラクエをやった時や、さよなら人類を聞いたとき、ふと思い出します。
今の私は、彼に胸を張って自慢できるような生き方を出来ていないのが非常に残念に思えます。
これから先の人生は、死んだ彼に誇れるような生き方をしていきたいと思います。
私にとってドラクエは(特に4は)、面白いゲームではありますが、悲しいゲームでもあります。
これから先もドラクエシリーズは大人気のゲームであり続けるでしょう。
私にとっては薄れ行く当時を思い出すいいきっかけでもあります。
私は彼に立派な人間になることを再度誓いながらドラクエ4をプレイします。
当時を思い出しつつ日記を書いていました。
15年も前のことなのに、少し涙がでました。
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この話を聞いたのは2回目かな、
前も言ったかもしれませんが、
本当こういう体験というのは辛いものですね。
幸い自分の身近な人間で亡くなった方はいないのですが、
友人や兄が病や怪我などで死に掛けたことはあり、
その時ですら自分は相当悲しい思いをした記憶があります。
今更ながらご友人の無念のほどお悔やみ申し上げます。
それにまだそれだけ若かった時分にちゅももさんの
うけた悲しみのほど察するに余ります。
これは自分の勝手な見解ですが、
もちろん、ちゅももさんが彼に胸を張れるような
立派な生き方をしてれば彼もそんなちゅももさんを
誇りに思えたことでしょう。
ですが、恐らくご友人はちゅももさんが
ご飯食べてゲームしてバイク乗って気持ちよく寝て、
健康に生きていてくれる、幸せでいてくれる、
それだけでも十分なんじゃないかな、
そう思ったりもします。体には気をつけてください。
ドラクエ4、彼が好きだった二人の思い出のゲーム、
思う存分たっぷりと、彼の分までやりましょう。
ちなみに画像のヒャドが綺麗ですな。
何となく、ちゅももさんの涙を連想してしまいました。
たまには沢山泣いてみるのもいいものですよ。
色々なものが涙と一緒に流れてくれる、そんな気がします。
ドラクエ4はリメイク版しかしたことありません
1?年前買ってって言ったけど・・・買って貰えませんでした(´・ω・`)ショボーン
リメイク版を友達から4500円で買って3カ月ほどハマり・・・その後金がなく売ってしまいました_| ̄|○
今更になってリメイク版のドラクエ4売らなければよかったと後悔しました・・・
ほんとに大事な友達。。。。
いつか新たな友達ができると忘れがちだが
フと思い出したときに連絡とれる。
それが亡くなってたら・・・・
ちゅもも?ベルとも友達になってくださぃなぁ